2012年7月14日土曜日

シラキュース(アメリカ)の移民政策と日本

私の住むシラキュース市は世界各地からの難民が最初に到着(?)する全米約60の自治体の中の一つだそうです。難民保護事務所でボランティアをする友人によれば、連邦政府からの援助を受けながら、シラキュースは都市部の人口減を補うべく難民(そして移民)を受け入れているとのことで、今日では、特に中心部においては、多種多様な人種が居住しているように思います。

今回のポイントはシラキュースの難民(移民)を受け入れが、人口減少社会、過疎社会に突入し、社会全体として成熟期を迎えている日本社会の模範例となりうるかというものです(特に研究しているわけではないのであくまで直感的に書いていますのでご了承のほどを)。

シラキュースの人口構成比(人種)では白人6.5割、黒人2割、スパニッシュ0.5割、その他(アジア、東欧)1割(ウィキペディア)という感じのようです。
シラキュースは1850年頃から塩産業等で栄えたようですが、その後衰退を辿り、70年代頃から、都市部の人口減少が顕著となり、それ以降、難民・移民をより多く受け入れ人口減を補ってきたようです。

結果として、裕福な白人層と貧しい黒人・難民層に大きな差を感じます。
※もちろん貧しい白人層が住む地域、裕福な黒人層もおり、ここでは細かな点ではなく、全体的な感想を書いています。

居住地域も、遊びに行く地域も、飲食の地域(お店すら)も人種ごとに異なっているように感じます。
以前にも書きましたが、特にダウンタウンのバス乗り場付近には、黒人・難民層が多く集まっている状況です(裕福な白人層は自家用車を使用するため、バスには乗りません。)。

ダウンタウンのバス乗り場付近には、貧困層が何の目的も持たずたむろしている状況も見受けられます。その2,3本先の通りの飲み屋街では、深夜まで、学生や裕福層が飲み明かしているという奇妙なコントラストがあります。

大学に話を移せば、シラキュース大学では、多様な留学生を招いており、特に成長著しいインド人・中国人の知識層を囲うことで大学を国際化しているように思います(インド・中国での広告活動を積極的に行なっているようです。)。

大学の国際化は成功していると見える一方、行政活動としての国際化は、人口減の処方箋であっても、治安・経済・雇用の面から見れば成功しているとは言い難い雰囲気です。

雇用の面から言えば、高所得の職に難民・移民層が就職することは語学面の制約等もあり、難しいように思います(日本から移民してきた友人も就職の面接には苦労しています。)。

このような現実を前に、日本全体あるいは自治体の人口問題に対する政策(や移民政策)がどうあるべきかを考えた場合、どのような判断ができるでしょうか?

ある記事のある自治体の成功例によれば、移住希望の国内の芸術家などをヘッドハンティングのように選抜し、人口増・活気ある町づくりに成功したものがあるそうです。一自治体の話を考えればこのような日本人間での流入流出で成功することはいい事例と思いますが、日本人間で人口調整を行なった場合必ず流出するケースが出るわけで日本全体からしてみれば、プラスの側面は少ないのだと思います。

そう考えると、最終的には、日本による難民移民の大量受け入れという話になるのですが、米国のようになれるのか、はたまたこれまでどおり難民等を受け入れず日本人のみのコミュニティを保ち続けるのかという選択肢になります。

個人的には、将来の人口減・活力減を補うには(そして日本人の国際化の視点から)移民の受け入れが不可欠と思いますが、日本人の心の問題(他国人に慣れていない)・言語の問題・治安の問題・財政の問題(移民への生活保護)等を考慮すると、シラキュースのような現状は日本国民世論には受け入れることはできないのだと思います。しかし、受け入れなけば、たくさんの地域・自治体が成長せずに衰退していく結果になるとも思われ、非常に悩ましい問題です。

特に先進国でこれほどまでに単一の民族で構成されている国は日本のみと思われ、国民の心の準備は、数年という短期間では可能ではなく、今後いつどのように舵を切らなければならないのか(切らないという判断も含め)、今後引き続き考えていかなければならない問題と思いました。



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